シーギリヤ・ロック
5世紀にダットゥセーナという王様がいました。水不足になりがちなスリランカ
各地に貯水池を作り、平和と幸福をもたらした立派な王様でした。
王様には二人のお妃がいました。一人はシンハラ人、もう一人はパラヴァ族の
出身でした。二人とも一人ずつ息子を生み、シンハラ人のお妃が生んだ子供はモッガラーナ、パラヴァ族の「お妃が生んだ子供はカーシャパという名前でした
カーシャバの方がお兄さんなのですが、モッガラーナの方が「母親の血筋が
良い」という理由で、王の後を継ぐのはモッガラーナだと、みんな思っていました。ミガラ将軍という人がいて、この人はカーシャバに次の王に成ってほしいと考えていました。ミガラ将軍はカーシャバの所へ行って「ダットゥセーナ王は、
モッガラーナのために沢山の財宝を隠したよですよ。あなたには何もないのに」と嘘をついた。面白くないカーシャバは、父の所へ使者を送り、「あなたがモッガラーナの為に隠した財宝はどこですか?」と尋ねました。
ダットゥセーナ王はカーシャーバを呼び出し、一番おおきな貯水池「カラ=ウェーワ」に連れて行きました。王は人々の生活を豊かにした、この貯水池が自分にとって最大の宝だと信じていました。
ダットゥセーナ王はカーシャバにむかって誇らしげに「この貯水池が私にとって一番の、そしてすべての宝だよ」と答えました。ところがカーシャバは自分がバカにされたと思って怒り、ミガラ将軍に命じて王を捕えさせました。
そして王を生きたまま宮殿の壁に塗り込めて殺してしまったのです。
自分が王になりました。カーシャバはついでにモッガラーナも殺そうと思ったのですが、モッガラーナはインドに逃げて助かりました。
モッガラーナの復讐を恐れたカーシャバは、首都アヌラーダプラを捨てて
シーギリヤ・ロックという巨大な岩の上に宮殿を建てました。
天然の要塞です。シーギリヤ・ロックには清舎(僧侶たちの修行の場)が建てられ、美しいフレスコ画も描かれた(これがシーギリヤ・レディ)
彼らはあらゆる宗教的なことをおこなって人々の人気を得ようとしたが、父を殺したので評判は全然良くならなかった。
カーシャバがシーギリヤ・ロックに宮殿を築いてから11年後、インドで力を蓄えたモッガラーナが攻めたきた。カーシャバは要塞から降りてきて、自ら象にまたがって戦ったが、モッガラーナに敗れ、自分の運が尽きたのを悟ると自ら命を絶ちました。モッガラーナが新しい王となったのです。
モッガラーナは兄カーシャバのために盛大な葬儀を行い、首都は、アヌラーダプラに戻された。「狂気の王」と呼ばれたカーシャバの作ったシーギラヤ・ロックの宮殿は、その後は清舎として僧侶たちに寄付されたが、だんだんと使わなくなりいつしか人々の記憶の中から忘れられていった。
19世紀になって、シーギリヤ・ロックの宮殿は千数百年ぶりに発見され現在ではスリランカの観光の目玉となっている。